タヌパック短信 15

●タヌばあさんの近況


 タヌがうちに来てもうすぐ九年です。実を言うと、去年の今頃は、まさか来年の夏を迎えられるとは思ってもいませんでした。それどころか、年を越すことも無理だろうと覚悟していました。
 野生のタヌキの寿命はせいぜい三、四年ということを聞いたことがあります。生理的な寿命はもっと長いのでしょうが、体力が落ちれば餌がとれなくなり、死んでしまいます。
 うちのタヌも、今「外界」に放せば、二日と生きてはいられないでしょう。
 足腰が弱っていて、庭に降りていく階段も、もう上り下りできません。
 ちょっとした気温の変化にもついていけず、すぐに風邪を引きますし、なによりも、内臓が弱っているらしく、ほとんどのものは食べられず、たとえ食べてもすぐに戻してしまいます。
 去年の暮れくらいから、このままではとても冬を越せないと判断し、家に入れました。ベランダとの行き来は自由にできるようにしてありますが、足腰が弱ったこともあり、行動範囲はぐっと狭まりました。
 今まで何度も、死のうとするような仕草をしました。何も食べなくなり、独りで暗い場所に入り込もうとする。野生動物の本来の「老衰による死」というのはこういうものなのでしょう。
 その度に僕らは気を揉んで、いろんな工夫をしました。
 食事に関しては、一時は固形物がまったく食べられず、粉状のプロテインを水に溶いたものだけで生きながらえていました。獣医さんによる輸液などは一切やらないことに決めていました。犬や猫と違って、僕ら以外の人間を極端に怖れますから、死に際に恐怖のどん底に突き落とすような真似はしたくありません。普通に口から食べ物を取れなくなったら、なるべく安らかにそのまま死なせるつもりでした。
 症状は一進一退し、もう駄目かなと思うと、翌日突然がばっと起きあがって食べ始める。しかし、すぐにまた吐く……それの繰り返し。
 何なら食べるのか。何なら戻さないのかを観察、研究した結果、今はベビーフードを与えています。それもタマネギは駄目とか、いろいろ難しくて試行錯誤の連続。でも、ベビーフードのおかげで体力もかなり戻り、このところはボケ老人みたいに、すぐにご飯を催促したり、よたよたしながらも物に八つ当たりしてみたり、大変です。
 タヌキを通して老人看護問題を学ばされるとは思いませんでした。
 先日、タヌのためのベビーフードを買いだめしに大型雑貨店に行ったときのこと。店の奥のペット売場で、モモンガ、プレーリードッグ、フェレット(イタチ)などにまじり、真っ白なキツネの子が狭い檻に入れられ、眠っていました。「北極ギツネ・十二万円」。たまらない気持ちでした。
 家に帰ってからいろいろ考えてみたのですが、あれは北極ギツネなどではなく、ホンドキツネのアルビノを人工繁殖させているのではないでしょうか。
 そういえば、『狸と五線譜』のCDが新聞に取り上げられたとき、「うちで飼っている白タヌキのハナコです」と、写真入りで手紙をくれた人がいました。写真では、本当に真っ白なタヌキが、パソコンのディスプレイの隣にちょこんと座っていました。あれだって、どう考えたって売られていたとしか考えられません。タヌキやキツネのアルビノを売り物にする繁殖屋が存在するのでしょうか?
 同じ頃、越後の仕事場の近所(といっても数キロ離れていますが)に、タヌキをつがいで飼っている夫婦がいて、そのタヌキに子供が生まれたという情報も入ってきました。
 タヌキの赤ちゃん落ちていないかなあ……が、かみさんの口癖でしたから、この情報には夫婦共にかなり色めきだちましたが、情報を提供してくれた人(越後の家の前の持ち主)が送ってきた写真を見てがっかり。親のほうのタヌキも子ダヌキも、鉄格子の檻に入れられているではありませんか。特に、親のほうは大きくなってから捕まえたので、人間に慣れず、とても手など出せないとも書いてありました。
 これでは動物園と同じです。野生動物を無理矢理捕らえて閉じ込めるという行為ほどやりきれないものはありません。かみさんと二人で「分かってないなー」と言い合いました。
 子ダヌキは温泉旅館の主人などから貰いたいという申し出があると言うのですが、そこでも同じような飼われ方をするのだとしたら、このタヌキたちの一生は真っ暗です。
 タヌはうちに来てひと月後くらいには、ほとんど自由の身でした。どこにも行かずにうちに居着いたのは、強制ではなく、タヌの意志によるものです。今、部屋のテーブルの下、僕らの足元で寝そべっている生活も、タヌ自身が望んで選び取ったものです。そういうつきあい方でしか分からないこと、心の交流はたくさんあります。
 {誰ぞ知る年ごと伸びる狸の尾}
 これはかみさんが戯れに詠んだ句(?)ですが、本当にタヌの尻尾は歳と共に伸びていくのです。身体の成長は最初の一年くらいでとっくに止まっているのに、尻尾だけは(骨ごと)少しずつ伸びて、晩年の今がいちばん長くなっています。そういうことさえ、檻に入れて飼っていたら気がつかないかもしれません。タヌキの澄んだ声も、決まったトイレでしか用を足さない律儀さも、合成添加物を鋭く嗅ぎ分けて食べようとしないグルメぶりも……。
 結局、タヌキの子を見に行くことはしませんでした。辛くなるからです。


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