たくき よしみつ プロフィール詳細版

本名:鐸木能光 1955年、福島県福島市生まれ。

☆音楽歴☆

2歳10か月でカナダ人音楽教師の下でピアノを使った音感教育を受ける。

4歳より6歳までバイオリンによる音感教育(鈴木メソード)を受ける。

しかし、反動で音楽嫌いになり、以後、長い間楽器の練習からは遠ざかった。

中学進学とほぼ同時に、作曲家をめざすことを決意。

中学2年の秋、当時まだアマチュアだったオフコースの生演奏を聴き、感動。翌日、さっそくクラスメートに声をかけてフォークグループを結成。作曲と並行して、歌修業も開始。

大学時代は作曲家・樋口康雄氏に傾倒し、押し掛けて作曲の指導を受けるかたわら、共にデモテープを録音する。また、小椋佳、下田逸郎と共に東京キッドブラザーズのミュージカル『黄金バット』にオリジナル楽曲の作曲で参加。同ライブアルバム(ビクター)で作曲家としてレコード・デビュー。

アンサーのデビューシングル 高校の2年後輩を誘い、デュオ・グループ「メロディ・メイカー」結成。ディスクポート西武より『レイニイ・グラジュエイション/セピア色の恋』を発売。

CBSソニーのディレクター高久光雄氏(矢沢永吉らの担当)に認められ、CBSソニーからのデビューが決まるが、直後にビクターからも猛アタックを受け、悩んだ末にビクターと契約。これが人生最大の過ちになった。
グループ名を「アンサー」と改名し、ビクターよりデビューするも、後輩の突然の「独立宣言」と、それを支持したマネジャーとの対立などでアルバム録音中に解散。(→アンサーのデビューシングル。こんな時代もあった)

自宅に「タヌパック・スタジオ」を開設。テレビ番組、CM、ビデオ等に作品を提供。『パンツの穴アニメ』『パンツの穴カセット』(ポニーキャニオン)では、脚本、音楽制作を担当。

1994年、タヌパックスタジオ制作第1弾CD『狸と五線譜』を発表。

KAMUNA
1995年、ギタリスト吉原寛治と、ギターデュオ「KAMUNA」を結成。全曲たくきのオリジナルによるファーストアルバム『グレイの鍵盤』を制作。以後、KAMUNAとして『アンガジェ』『Orca's Song』の合計3枚のCDアルバムを制作。
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2008年、新スタジオ「タヌパック阿武隈」を始動。チェロをメイン楽器に据えたインスト「セロジャン・プロジェクト」や、過去の歌作品の復活(メジャーリリース再挑戦)を計画、現在も実行中。

2010年、30年前に途切れたシンガーソングライターとしての活動を復活させるべく、CD『So Far Away 〜たくき よしみつSONGBOOK1』を制作。
別筆名「創田 仁(そうだ・じん)」での作曲活動を開始。『奇跡の星』(創田 仁:作詞・作曲)が、音事協主催「虹の架け橋まごころコンサート」イメージソング、グランプリ受賞。演歌・歌謡曲作品の制作も開始。


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☆文筆(小説)歴☆

中学2年頃から小説を書き始める。当時、影響を受けた作家は五木寛之氏。

1979年、『新しい四月のための編曲法』で群像新人文学賞最終予選通過(受賞は『風の歌を聴け』の村上春樹氏)。

レコードデビューに失敗し、以後、生活のため、雑誌アンカーマン、コピーライター、シナリオライター、タレントや脚本家のゴーストライター、英語の参考書執筆など、多くのライター業を遍歴。

1986年、『ざ・びゃいぶる』で第4回小説新潮新人賞候補作。

プラネタリウムの空、車内中吊り広告1990年1月、マガジンハウスより「CD小説」『プラネタリウムの空』(ハードカバー小説に、小説のテーマ曲、イメージ曲のオリジナル音楽CDが付属したメディアミックス作品)を発表。(→電車の中吊りポスターまで作られたのだが……)

1991年10月、『マリアの父親』で第4回小説すばる新人賞。

「雨の降る星」広告ポスター1992年12月、エイズ感染者を主人公とした長編書き下ろし『雨の降る星』(集英社文庫書き下ろし)。(←『雨の降る星』のポスター)

1994年7月、『天狗の棲む地』(マガジンハウス)。

1995年4月、音楽小説『グレイの鍵盤』(翔泳社)。同名の音楽CD(KAMUNA)との同時発表。

1995年10月、エッセイ『狸と五線譜〜ポンポコライフ雑記帖』(三交社)。

1995年12月、ミステリー小説『G線上の悪魔』(廣済堂出版)。

1996年3月、生物兵器を題材にした長編伝奇ミステリー『カムナの調合』(読売新聞社)。

1996年12月、『アンガジェ』(読売新聞社)

2001年10月、『黒い林檎』(河出書房新社)

2003年1月、『鬼族』(河出書房新社)

その他、小説以外も含めた著作の詳細はこちら

文藝ネット発起人。


☆写真歴☆

小学校6年生の修学旅行を前に、オリンパスペンを買ってもらう。

中学時代は、父親が買ったペンタックスSP(F1.8/50mm付)を持ち出して、ときどきモノクロ写真を撮影。写真好きの友人の影響もあり、現像・焼き付けなどもやったが、音楽に集中するため、その後は長い間、写真の趣味は封印。

カメラマンとしての作品の一つ 25歳で結婚したのを機に、旅行中に撮る写真が増えていく。安売りスーパーで買ったコシナの9800円のコンパクトカメラなどを愛用していたが、一眼レフの味が忘れがたく、NikonのFG20と、怪しげなズームレンズを購入。以後、中古でNikonマウントのレンズを少しずつ揃える。

26歳から狛犬の写真を撮り続ける。

デジカメ時代になり、俄然、撮る枚数が増える。初めて購入したデジカメはOlympusのC-420Lという640×480ピクセルモデル(35万画素)。これはメモ代わりにしか使えず、その後発売されたC-2000がほしくてたまらなかったが、高価(当初、8万円以上した)で買えなかった。
ようやくC-2000を買った翌々日に、後継機種2020の発表があり、がっくり。
しかし、C-2000で、ようやくデジカメの時代が来たことを確信する。

C-2000はいいカメラだったが、焦点距離が6.5〜19.5mm(35-105mm相当)で、背景はほとんどぼけてくれない。これに満足できず、無理をして焦点距離9.7〜48.5mm(38〜190mm相当)のSONYF707を購入。F707以降は、完全にデジカメのみに切り替えた。

デジカメの長所と短所を探求するうちに、世の中のデジカメに対する認識がおかしいこと、メーカーがユーザーを誤った方向に引っ張っていることに気づく。自分の考えを表明するため、『デジカメ写真は撮ったまま使うな! ガバッと撮ってサクッと直す』(岩波アクティブ新書)を刊行。以後、「ガバサク理論」を提唱。2006年年末には『裏技デジカメ術』(青春新書インテリジェンス)『デジカメに1000万画素はいらない』(講談社現代新書)も刊行。写真を仕事の一部として捉え、プロカメラマンではない「日常写真家」というスタンスを固める。
2008年9月まで、朝日新聞be土曜版に『デジカメのキモ』、2009年の休刊までYomiuriPCに『ガバサク流デジカメ写真サクッと修整講座』を連載。

☆狛犬歴☆

古殿八幡神社にて 1981年、26歳のとき、狛犬という造形物に興味を抱き、一生、写真の被写体として追いかけていくことを決める。

最初は写真の被写体として追いかけていたが、やがて台座に刻まれた文字から、その狛犬の誕生にまつわるドラマ、あるいは、狛犬の造形における地域別の共通性などにも注目するようになる。

日本参道狛犬研究会(三遊亭円丈会長)の存在を知り、出入りするようになる。

1999年、WEB上に狛犬研究の専門サイト「狛犬ネット」(http://komainu.net/)をスタートさせる。

2006年、バナナブックスより日英両国語対応の狛犬観察・研究のための入門書『狛犬かがみ』を刊行。現在の石造り狛犬のルーツは、宮中の神殿狛犬(中国獅子像が日本に入ってきて「獅子・狛犬」に発展)の他に、江戸時代、庶民が想像によって彫り始めた「はじめタイプ」もあるという、狛犬ルーツ二元論を提唱する。
また、愛好者がバラバラに名づけていた狛犬の形式名称を体系的に統一することも提案。すでに一般的に認知されている「出雲型」などに加えて、江戸タイプと浪花(畿内)タイプの大別。越前禿型、護国、などの「型」分類を体系化する。

南福島に流れ着いた高遠石工・小松利平と、その弟子・小松寅吉、さらに寅吉の弟子・小林和平と3代続いた名工の物語を発掘し、『神の鑿(のみ)』として発表。全国の狛犬ファンに、寅吉・和平ワールドの存在を伝えた。

☆カエル歴☆

阿武隈移住後、家の周りで見かけるカエルたちに興味を持ち始める。

福島県内には日本固有種のカエルが10種棲息していることを知る。そのうち9種(ニホンアマガエル、ヤマアカガエル、ニホンアカガエル、シュレーゲルアオガエル、モリアオガエル、ツチガエル、タゴガエル、トウキョウダルマガエル、アズマヒキガエル)は家の周囲ですべて撮影することができた。2010年現在、残るカジカガエルの撮影のみ達成できていない。

2007年、「モリアオガエル同棲計画」をスタート。家の敷地内にモリアオガエルを呼んで産卵させるため、池を造る。

カエルの産卵場所、棲息域をこれ以上消滅させないため「カエル神社プロジェクト」を提唱。2010年、『阿武隈カエル図鑑』を制作。
カエル神社プロジェクト

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