タヌパック短信21

●文化の自浄能力



 先日、読者からこんな電子メールが届きました。

『アンガジェ』読ませていただきました。感じたことを少し述べさせていただきたいと思います。(中略)。
 先日、テレビのニュースでこんなことを伝えていました。
[今、韓国では、数十年前の日本のように、西洋音楽が急速に人々の心をとらえ、ポップスは産業としても急成長している。その中で、国民アイドル的ミュージシャンのヒット曲が、実は日本のミュージシャンがすでに発表した作品からの盗作ではないかという疑惑が続出し、猛省を促す動きが出始めた。
 盗作の監視機構が設けられ、インターネットで「疑惑曲」を発表して国民の審判を仰ぐ。文化の面で、かつて自国を蹂躙した隣国の「配下」に、自らなろうとしている。こうした魂を失った音楽に熱狂するのは恥ずべきことだ、という思いからの行動といえるだろう]
 ちょうど『アンガジェ』を読んでいる最中だったので、この小説の中に出てくる「JKS」や「MBL」のことを思い浮かべてしまいました。
 私に言わせれば、韓国ポップスの「盗作のもと」となった日本のポップスも、結局はアメリカやイギリスの曲を巧妙に作り替えただけのものが多いわけです。業界ではもはや「パクリ」は常識とされているふしさえあります。しかも、リスナーたちにも、それを犯罪であるとか、恥ずべきことであるという意識が極めて希薄です。
 たくきさん(小説の話をしているときは、「鐸木」さん?)は、「あとがき」の中で、小説の登場人物にモデルはいないと書かれていますが、江中渉は誰がどう見ても小室哲哉じゃないですか? 俺はああいうのは大嫌いだ、認めない! と、ただ叫ぶのは大人げないので、小説にメッセージとして託した……私にはそう読めました。違っていたらごめんなさい。(後略)(埼玉県・K.T.さん)
 

このニュースは、僕もテレビで見ました。見ながら、なぜか、ソウルオリンピックの開会式の一シーンを思い出していました。競技場に、老人が聖火を持って躍るように入ってきた場面。
 老ランナーの名前は孫基禎(ソン・キジョン)。第一一回ベルリンオリンピックで日本代表選手として参加し、マラソンで優勝した韓国の英雄。ちなみに、同大会で三位になった南昇龍選手も、占領下にあったため、韓国人でありながら日本代表としてオリンピックに出た悲劇の選手です。
 ソウル・オリンピックに、日本は中山、瀬古、新宅という最強メンバーを送り込みながら、マラソンでメダルは取れませんでした。次のバルセロナ大会では、最後に日本の森下選手と韓国の黄(ファン)選手の一騎打ちとなり、黄選手の優勝。まるで朝鮮半島から強力な「気」が送り込まれ、黄選手の背中を押したように思えました。
 日本が朝鮮を占領していたとき、朝鮮半島の人々は強制的に日本語を喋らされ、文化と民族の誇りを奪われていました。その時代を知る韓国の人々にとって、自国の若者が、よりによって日本人の歌を盗作して発表し、その曲に熱狂するという図は、どうにも我慢ができないことでしょう。
 でも、日本はどうなんでしょう。K・Tさんの言うように、欧米のものを真似たり盗んだりすることに、もはやなんのためらいもないように見えます。
 かつて日本で、欧米の音楽からの盗作は恥ずべきことだから、全国民が監視して盗作音楽を拒否しようなどという動きが出たことがあったでしょうか?
 二十年くらい前、ラジオの深夜放送で、日本のヒット曲の「もと歌」(すべて欧米の曲)を見つけるというコーナーがありました。聴いていると、「似ている」ではなく、まったく同じメロディーの曲がわさわさ出てくるのです。でも、そうした曲が著作権法に引っかかって告発されたということは聞きませんでしたし、どこからか圧力があったのか、そのコーナーもすぐに消えてしまいました。
 音楽だけではなく、日本では文化のあらゆる面で暗黙の植民地化が進んでいる気がします。しかも、強制的にではなく、自らそうなろうとしているようです。「駅伝(EKIDEN)」という言葉が海外でも定着してきているときに、なぜわざわざ日本の大会で「ロード・リレー」などと味も素っ気もない英語表記をするのでしょう。
 WINDOWSなどというセンスのかけらもない代物をありがたくそのまま受け入れ、日本語を大切にしたパソコン環境作りをしようとしないというのも、僕には不思議でしょうがありません。チャンスはいくらでもあったのに、わざわざマイクロソフト社に「占領」されるのを待っていたように思えます。日本人は文化のマゾヒストなのでしょうか?
 僕はパソコンで文章を書くようになってから、まともに「縦書き」ができないことにずっと苛立っていました。ワープロソフトは重くて執筆には向いていないので、エディタという軽いソフトを使っているのですが、もともとC言語でパソコンのプログラムを記述するために開発されたソフトだけに、日本語を縦に書いていくという発想がありません。
 最近、ようやく縦書きで楽に執筆できるエディタソフト(個人が作ったオンラインソフト)を見つけました。四月に、それの紹介も含め「日本語を書くためのパソコン環境構築」を語った本を出します。文化の自浄能力というのにはほど遠いのですが……。





■タヌパック本館の入口へ
■タヌパック短信の目次へ戻る
■次の短信を読む