タヌパック短信 24

「鐸」をめぐる旅(3)


 中国は漢字をどんどん略字化していきましたが、同じ中国語を読み書きする国でも、台湾では今でも繁体字を使っています。文字コードも、国内五大メーカーが共同で制定したBig5という文字コードでは、漢字だけで一三〇五三字も収録、CNS11643という国家標準の文字セットにいたっては、五万字を越える漢字をコード化したそうです。制定に関わった人物の漢字文化への気概の有無が、その国の文化の将来を決めてしまうよい例です。
 今後は世界中の文字をひとつのコード体系で処理しようというユニコードや、それをJIS化したJIS X0221など、新しい文字コードがパソコンに標準搭載されるようになるでしょう。ユニコードは現行のJISコードよりずっと多くの文字種(漢字だけで約二万字)を収められる規格ですが、中国語や韓国語などとも「同居」するので、日本語の文字表記をめぐっていろいろと議論が戦わされました(二万字の内、日本の漢字は約一万二千字分)。
 ユニコードが本格的に導入されると、いよいよ日本語文字表現への制限が決定づけられるという危惧の声が強いのですが、これはなかなか複雑な要素を含んでいる問題で、調べていけばいくほど、一種の宗教戦争のようにも見えてきます。

「ユニコード問題」とは何か? 

 ユニコードに反対している人たちは、まず、中国、韓国、台湾、日本で、それぞれ字形の違う文字も、同一起源のものなら同じコードに割り振られていることが問題だと主張しています。
 例えば中国では「骨」という字は、上の右曲がりの部分が左曲がりになります。「灰」という字は「がんだれ(厂)」ではなく「友」の上の部分のように突き抜けます。
 ユニコードでは、これら国別の字形の違いには目をつぶり、同じ文字として同一コードを振ります。英語でユニフィケーション(統一化)といいますが、多くの日本人はこうした「統一化」には抵抗があるでしょう。
 ただし、印刷する場合は、フォント(書体)のセットを切り替えることで対応できます。実際に、ユニコードを採用した上で、日・台・中・韓四か国、五つの字形系列(台湾のは一般に使われているものと国家基準のものと二種類)を別フォントで標準装備し、最初からきちっと使い分けられるようにしたDTPソフトなども発表されています。でも、今後は文章というのは印刷物だけではなく、デジタル記号として記録されることが多くなっていくことは明らかです。実際、売れない文芸書や学術書などはどんどん絶版になっていますから、将来は「売れない本」はデジタル書籍、あるいはインターネット上の文字データとしてのみ生き残るなどという事態も十分考えられます。そのときに、別の字体が同一コードで表されるというのは不安です。文章を書いた側が意図していない字体で読み手側に読まれてしまうということが起こりえるからです。
 マイクロソフト社のパソコン基本ソフト(OS)WINDOWS NTでは、既にこのユニコードを採用しています。次期WINDOWSでもこの文字コードが採用されるといわれています。
 ただ、ユニコードが漢字文化を滅ぼすと言っても、現在のJISコードの漢字よりははるかに多い漢字(約2倍)が使えるようにはなるわけです。ちなみに高島屋の「はしごだか」も、ユニコードでは普通の「高」とは区別して表せます。台湾の文字コードで別々に処理していたためのようです。
 ユニコードが世界標準の文字コードとして最終形になるということでない限りは、段階的な発展として受け入れるという柔軟さもあっていいのではないかという考えも出てきます。ちなみにユニコードは現在、やはりこれでは文字数が足りないという各国からの要望を無視できなくなり、新たな大幅拡張を模索しているようです。
 ユニコードのように国と国が対立する要素を孕んだ問題では、ある程度柔軟な取り組みや政治的な駆け引きも求められるのでしょう。
 また、ユニコードとは別に、JISコードの拡張計画(第三水準、第四水準漢字の制定)というものも進んでいます。この改定・拡張では、最初のJISコード制定(七八年)の不備や、次の改定(八三年)のときに生じた混乱などにも極力対処し、改正しようとしているようです。
 新しいJIS第三水準、第四水準漢字制定では、今までのJIS第一、第二水準を残したまま、それを補完する形で新たに約五千文字を追加します。しかも、この五千文字を、すぐにでも現行のパソコンで使えるよう、入力方法なども従来の方式を大きく変更することなくできるようにと苦心しているようです。八三年改訂が漢字制限論者によってがたがたにされたのとは違い、地道な努力と漢字文化への誠実な態度に裏打ちされた改訂作業だという印象を持ちました。
 この五千字を加えて、ようやくJISの漢字は一万を超え、ユニコードの漢字数と肩を並べることになります。
 文字コードが漢字文化を殺すという訴えは一見まっとうですが、その前に、こうした現場の苦労などもしっかり見ておかなければならないと思います。 大切なことは、知恵を出し合って、合理的でありながらも切り捨ての少ない新システムを考案し、世界に提示し、日本語文化を守り抜くということでしょう。(この項、さらに続く)




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