タヌパック短信 3

●市民運動のあり方を考える(一)




 今年の六月までこの「草の根通信」に連載させていただいた『狸と五線譜』が、単行本として出版されることになりました。
★注・95年の話です。読み飛ばしてください。今はもう出版されています★

 大幅な書き直しと加筆をしたので、内容は連載していたときのものよりもかなり膨れ上がっています。
 このところずっと、この書き直し・加筆作業を通じて、エントロピー増大則と環境問題の関連性や、動物と人間との関わりなどについていろいろと再考察していました。データの真偽を確かめたり、舌足らずな表現を改めて不要な反発を招かぬようにしたりと、エッセイには小説にない苦労があります。
『狸と五線譜』連載中にも少し触れましたが、『環境保護運動はどこが間違っているのか?』(槌田敦・著/宝島社)という本が出版されたとき、一部の市民グループから猛烈な抗議が寄せられたそうです。
[あなたがどんなに頑張っても「リサイクル」では地球は救えない]といった帯の文句や、[牛乳パックは燃やしてしまえばいい]といった刺激的なサブタイトルなどが、リサイクル運動などに精力的に取り組んでいる人たちの神経を逆撫でしたようです。
 僕は事前に槌田さんの本をほとんど読んでいたので、彼が言わんとしていることは分かりすぎるくらい分かったのですが、エントロピーの考え方に初めて触れる読者には、主張の骨子よりも先に、細部の刺激的な表現や多少のデータの不備などに目が行ってしまい、冷静に本の主張に耳を傾けることができなかったようです。
 少しだけ説明しますと、例えば、牛乳パックは燃やしてしまえばいいという話は、牛乳パックのように極めてリサイクルしにくいものは最初から作ってはいけないのだという主張の裏返しとして語られています。
 ラミネート加工(表面にポリプロピレンの皮膜を貼る)した紙パックは、最上質の天然パルプ(カナダや北米の天然林からしかとれないそうです)を使っているのに、ポリ皮膜を剥がさなければ再生できません。そのために普通の古紙再生よりもはるかに面倒な工程を必要とし、まったく採算が合わないので、再生紙工場も今まで紙パックにだけは手を出さなかったそうです。
 このへんのことは『間違いだらけのリサイクル』(伊藤吉徳・著/日本経済通信社)という本に、細かな数字や企業名、人名まで載せて紹介されています。牛乳パックを再生できる工場は日本に七か所しかなく、関東周辺では富士市にある丸富製紙だけ。ここに関東はじめ、東北や近畿からも一日に十トントラック二台分の紙パックが集まってきて、複雑な工程の後、牛乳パック六枚で六五㍍巻きのトイレットペーパー一本が作られるそうです。
 一見、大変結構なことのように思えますが、考えてみると東北や近畿からトラックに乗せて静岡県まで運んでくるということがちょっと異常です。それだけのエネルギーを使い、空気や水を汚染したあげくにトイレットペーパー……。もともと紙パックに使われるパルプは普通に再生すれば十回は再生紙に甦るといいます。それが、紙パックに加工したためにトイレットペーパーにしか生まれ変わらない。使用済みトイレットペーパーをさらに再生するのは無理ですから、十回使えるものを一回しか再生できずにいるわけです。しかもラミネート加工のために恐ろしく効率が悪い。おかげでバージンパルプのトイレットペーパーより品質が落ちるのに値段が高くなります。
 こういう「リサイクルしにくいもの」は最初から作ってはいけない、というのが槌田敦氏の主張です。なぜ、多少の不便を我慢してでも牛乳瓶にしないのか? 瓶なら何度でも使えるし、回収、洗浄のエネルギーもそれほどではない。リサイクルできないものをリサイクルできるかのように吹聴し、市民の善意や自治体の補助金で強引なリサイクルを成立させるようなやり方は、全体として見れば、環境を守るより破壊を促進することにつながっている、というわけです。
 これは至極まともな論だと思います。僕は今では紙パックのリサイクルをしていません。最初から買わないからです。牛乳は飲まなくなりましたし、醤油や酒なども瓶入りのものしか買いません。紙パックというものを認めたくないからです。
 槌田敦氏のことを「物理学者のくせにリサイクル運動に口出しする馬鹿」と誹謗中傷する自称環境保護運動家、市民運動家がいます。彼はこの本をまともに読む前から敵視し、挙げ句の果てには「エントロピー論と地球環境問題を結びつけるのはインチキUFO論の類と同じインチキ話」とまでエスカレートし、さまざまなメディアで言いふらしているようです。
 かつて、エコロジーが「ブーム」になりかけたとき、電気を使ったオイルヒーターや室内プラネタリウム投影機、ソーラーバッテリーで二、三時間程度ぼーっと光る庭園燈など(いずれも普通に市販されている)を「エコロジーグッズ」だとして高い値段で通信販売する市民運動グループ(?)が出現しました。そのグループの代表はその後日本新党から立候補し、代議士になったそうです。
 市民運動とはなんなのか? 市民運動と連携した言論活動とはどうあるべきなのか? そうした課題を改めて考えながら、『狸と五線譜』の原稿を書き直しています。
(このテーマ、来月も続けます)


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