『狸と五線譜〜ポンポコライフ雑記帖』・立ち読み版



   
   

   書 名:狸と五線譜〜ポンポコライフ雑記帖
   著 者:たくき よしみつ
   版 型:A5版単行本、約240ページ
   版 元:三交社(95/10)
   価 格:1,280円
   ISBN :4-87919-559-6 C0036
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●概要:

 著者がひょんなことから「同居」することになった1匹の雌タヌキを案内役に
すえて、音楽・小説・エコロジー・人間と動物との関わりなどのテーマを論じた
ユニークなエッセイ。
 閉塞した現代都市文明の中で、新しい生き方、価値観をどう模索していくかを
暗示してくれたタヌキの「タヌ」に感謝しつつ上梓。1993年11月から1年
半にわたって『草の根通信』に連載されたエッセイ『狸と五線譜』をベースに全
面改稿したもの。
 なお、同名の音楽CDもインディーズ盤ですでに発売されております(通販の
み)。合わせて楽しんでいただければ幸いです。

●目次:

 はじめに
 第一章 タヌキがわが家にやってきた
  οひょうたんからタヌキ  οタヌとの遭遇

 第二章 タヌキと人間はどこが違う?
  οタヌキは人間より完成された動物だ  οタヌキの風貌
  οタヌキの能力  οタヌキの声  οタヌキの食生活  οタヌキの霊感

 第三章 狸との出逢いが僕を変えた
  ο売文家のジレンマ  ο井津先生への手紙  ο井津先生からの手紙

 第四章 タヌキが導く新たな旅路
  ο「エントロピー小説宣言」の失敗  ο「積極的無常観」を求める旅

 第五章 タヌキに値札が貼られる日
  ο公団猫屋敷女主人Sさんの憂鬱  ο健康な犬の骨を折る獣医学生の苦悩
  ο「動物好き」という言葉の傲慢
  οタヌキ汁とクジラのベーコン〜食い物にタブーはあるのか?

 第六章 タヌキの幸福
  οタヌキだってコタツが好き  οタヌキと獣医さん
  ο最後のトキと幻のカワウソ  οディープ・エコロジーは「危険思想」?

 第七章 タヌキの妖術・人間の魔法
  ο情報を測る物差し  ο「木の葉のお金」と太陽エネルギー信仰
  ο牛乳パックはリサイクルできるのか?  οウンコはカレーに戻らない

 第八章 タヌキの水洗便所
  οU字溝はタヌキの生命線
  ο都市ガス・水道完備・四〇〇坪つき二五〇万円の家
  οエコロジカルライフは我慢するだけの生活じゃない
  οタヌキの水洗便所

 第九章 CD『狸と五線譜』ができるまで
  ο星を求める蛾の願い  ο三十七歳で始めるジャズギター
  οタヌキは素敵なソプラノシンガー

 第十章 タヌキと共存できる社会を求めて
  ο「タヌキ仲間」との出逢い  ο現代文明はいつ滅びるのか
  ο「心の時代」へ向けての試行錯誤

内容の一部:

 本の内容より、「はじめに」の全文と、第八章、第九章の一部を転載します。

【はじめに】
 小説すばる新人賞をいただいた『マリアの父親』という作品が単行本になった
とき、あるテレビのワイドショーに「タヌキを飼っている作家の……」という話
題で出ないかという話が持ち上がったことがある。随分悩んだのだが、担当編集
者には「やっぱりタヌキをダシにしたような売り方はやめたいですね」と言った。
タヌキのことを話すのは楽しいし、実際、気がつくとタヌキ自慢をしている飼
い主バカになっていることがよくある。でも、テレビにタヌキと一緒に遊んでい
る映像が流れるなんてのは、どこかうさん臭いし、恥ずかしい。
一方で、タヌキとつき合い始めてから、僕の(大袈裟にいうと)世界観のよう
なものが少しずつ変わっていったことも確かで、一生を通じて自分の書く小説に
込めようとしているテーマにも大きく関わっている。そういう話題としてなら、
タヌキをダシにするのも大いにいいことだと思う。

ひょんなことから一匹の雌狸と遭遇し、一緒に暮らすようになってからもうす
ぐ八年になる。この八年間で僕はタヌキを通じて多くのことを学んだ気がする。
現代は夢を持てない時代といわれる。個人がいくら夢を持ちたくても、社会の
システムそのものが未来に明るい展望が持てない。そして「夢」もまた、情報洪
水の中でどんどん怪しげなものに変質し、色褪せていく。
僕らが子供の頃、教科書には「東海村に原子の火ともる」とか「世界初の女性
宇宙飛行士誕生」なんていう記述が肯定的に踊っていたものだ。しかし、現在、
「僕は将来宇宙飛行士になるんだ」と言う子供に、親たちは昔のような純粋な気
持ちで「そうか、がんばれよ」と言えるだろうか? スペースシャトルとミール
が地球のほんの少し外側でドッキングし、米ロの宇宙飛行士が手を取り合って笑
顔を作るシーンを、政治ショーとしてしか見られない大人はたくさんいるはずだ。
あるいは、「原子の火ともる」の結果出てきた決して捨てられない核のゴミを
「いっそのこと宇宙に捨ててしまえばいい」などと言い出す人間が現れることに
よって、かつての「夢」は見事に汚されてしまった。
あり余る物と捨てられないゴミの中で、現代人はどんどん下品になっていくよ
うに見える。暗黙の集団自殺を予感しながらも、急激な環境の変化を恐れて毎日
を無感動に過ごしている。そうした受け身型自暴自棄とでも呼べそうな生活を変
えていくための処方箋はないのだろうか? 情報は氾濫しているけれど、どれも
テレビショッピングの売り口上みたいでいかがわしい。わざと「真相」を隠して
いるんじゃないかと勘ぐりたくなるほどだ。
そんな中で、わが家にやってきた一匹のタヌキは、僕にそれとなくいろいろと
教えてくれる教師だった。

タヌキは昔から人を化かすキャラクターとして親しまれてきた。実物とつきあ
ってみて、それが本当だということが分かった。
土から離れ、身体で感じ取れない空虚な情報に縛られて生きている現代人たち
は、この世界を支えている見えない「闇の世界」の存在をすっかり忘れてしまっ
ている。かつてトンボが夕焼け空を背に滑空し、蛍が夜のとばりの中を乱舞して
いたときには、「もう一つの闇の世界」への入口を暗示してくれるものはいっぱ
いあった。
野生動物は人間にとってその闇の世界を教えるメッセンジャーとしての役割を
果たしていたが、中でもタヌキはとりわけ人間に近い場所に生きていた分、親し
まれてきた。
もしかしたら、僕は一匹のタヌキに「化かされた」のかもしれない。でも、こ
の化かされ方は、とても気持ちのいい体験だった。この体験を少しでもみなさん
に共有してもらいたくてこの本を書くことにした。読み終わって「なんとなく化
かされたような気分だけれど、悪い気はしなかった」と感じていただければ幸い
である。

☆☆☆以下、第八章より抜粋☆☆☆

●都市ガス、水道完備、四百坪つき二百五十万円の家
 都市に生活している人間はもちろん、田舎に住んでいる人間も普通は下水処理
システムを自分の好みで選択することはできない。地方自治によってやり方が決
められているからだ。
 わが家にはタヌの生活圏でもある三十坪弱の庭がある。雑草園芸家を自認して
いるので、ほとんど手は入れない。その年によって庭に咲く花々も違う。タンポ
ポが一面に咲く年もあれば、ヒナギクの優勢な年もある。シャガとドクダミは大
体毎年咲く。
 この庭を利用して、土壌浄化の下水処理システムを作ろうと思えばある程度出
来なくはないかもしれない。でも法律的にやってはいけないことになっている。
 ばっき式の浄化槽にしても本下水にしても、汚水処理システムとして理想から
外れていることが分かっているのに、お上の方針に従わざるをえないというのは
悔しい。
 そもそもこの長屋にしても、周囲の地価の上昇を考えたらもう一生ここから離
れることはできないだろうと思ったとき、とても息苦しくなった。
 もう首都圏に引っ越すべき場所はない。でも、今すぐ地方に移ってしまうと仕
事ができない。とりあえず、別荘を持てないか……と考え始めた。
 もちろん、金はない。出せる金はせいぜい二、三百万円というところだろう。
そんな予算でいい物件があるものだろうか?(中略)
 そして一年半。ついに見つけた。
 新潟県北魚沼郡川口町。上越線の駅や関越道のインターから車で七分ほど。土
地が一四四五平方メートル(四三七坪)付いている木造二階建ての家が二百五十
万円。
 さっそく見に行った。山の中腹にある家で、周りは杉林と畑と田圃。環境は申
し分ない。
 建物は八畳が四つに七畳半が二つという構成。地元の工務店に勤める、土台回
りや土木専門の大工さんが住んでいた家で、昭和四十年代に自分の持っている杉
林の杉を製材して柱を作り、急造でこしらえた家らしい。材料はお世辞にもよく
ないし、あちこち子供の悪戯書きだらけ。薪ストーブのせいで、台所は天井はお
ろか壁も真っ黒。トイレも汲み取り。
 しかし、驚くべきことに、水道はもちろん、都市ガスが来ている。目の前の町
道は冬でも完全除雪だという。さすがは角栄のお膝元だけある。
 その場で決めて、すぐに不動産屋に電話を入れた。一番乗りだった。(以下略)

●エコロジカルライフは我慢するだけの生活じゃない
 別荘の改造計画第一弾は、トイレを水洗化することだった。
 購入したときから、臭いぽったん式便所をそのままにすることなど、さらさら
考えていなかった。
 一年待てば本下水がつながるという。川崎だってつい最近まで下水道がつなが
っていなかったのに、なんてこった。でも、それを待たずに、売り主の大工さん
に頼んで、土壌トレンチ&土壌浄化槽の浄化システムを作ることにした。『エン
トロピー読本』『都市の水循環』などに紹介されていた記事と図面のコピーを持
参し、仕組みを説明する。
 大工さんは一晩かかってそのコピーを読み、「なるほど」と唸った。
 土木の専門家である彼も、土壌浄化システムのことは聞いたことはあるが、実
際に作ったことはないという。でも、資料を読んで大いに興味を持ってくれた。
 土壌浄化システムのポイントは、汚水が浄化される前に地中深くへ染み込まな
いようにすることだ。汚物を分解するバクテリアやミミズは、せいぜい地表から
数十センチのところにしかいない。分解しないままの汚水が地下水に紛れ込むと
まずい。そこで、なるべく空気を取り入れやすく、そしてすぐに土中に染み込ま
ないように、石やビニールシートをうまく利用する。
 工事はあっと言う間に完成した。これで水洗にできる!
 トイレは杉の荒板で壁を張り、床は檜に。そこに最新式の洗浄式便座をつけた。
川崎のわが家よりずっと贅沢だ。
 ここでウンコをするのはとても気持ちがいい。サイホン式水洗トイレに吸い込
まれるように消えたウンコは、すぐに庭の下の浄化システムに運ばれ、そこで待
ち受けるミミズやバクテリアのごちそうになる。ときどき、ウンコをした後、浄
化システムの蓋を開けて確認してみる。太くてつやつやしたミミズが何匹もウン
コの周りにいるのを見て一安心。
 臭いゼロ。投入エネルギーもゼロ。メンテナンスフリー。未だにまったくトラ
ブルはない。田舎にはうってつけの浄化システムだと確認できた。
 ちなみに、汲み取り式の便所は決してエコロジカルとは言えない。汲み取って
肥溜めに移し、肥料として使用するならいいのだが、今時そうしている家はほとん
どない。農家だって、バキュームカーに吸い取ってもらっておしまいというのが
多い。バキュームカーで運ばれた糞尿は、遠隔地で石油を使って処分される。ま
ったく無駄だ。臭い思いを我慢しているぽったん式より、洗浄便座つき水洗&土
壌浄化のほうが(洗浄便座に使う電気エネルギーを考慮に入れても)断然「エコ
ロジカル」だと思う。エコロジカルな暮らしというのは、必ずしも無理に我慢す
る暮らしではない。(以下略)

☆☆☆以下、第九章より抜粋☆☆☆

●三十七歳で始めるジャズギター
貴花田が宮沢りえと婚約するというニュースが流れた朝、僕は自分が彼らのほ
ぼ二倍の年齢であることにある種の感慨と焦りを覚えながら、電話帳で近所の音
楽教室を調べていた。ジャズギターをイチから学ぶためだ。
幸い、そこでプロのジャズギタリストに個人レッスンを受けることができるこ
とになったのだが、改めて自分がドレミファさえ弾けないことを知って愕然とし
てしまった。
 ジャズギターというのは、昔かじったフォークギターとはかなり奏法が違う。
プチプチと情けない音を出すギターにしがみつきながら、毎日「ハノン」(運指
練習用のスケール曲集)の一番を繰り返した。
 それから一年。技術はかつての絶頂期よりもはっきりと向上した。今まで一生
かかってもできないだろうと諦めていたような弾き方が、多少できるようになっ
た。
 そうなると欲が出てきた。もしかしたら、他人が聴いても感動するようなギタ
ー音楽を今からでも創れるのではないかと。
 今でも月二回の教室通いは続けている。目標は、禿げても、皴だらけになって
もサマになる(言い換えれば「フォークおじさん」から脱却した)渋い「音楽家」
になることである。(以下略)

●タヌキは素敵なソプラノ・シンガー
野生生物の声を音楽に取り入れるというアイデアは、実はわが家のタヌがきっ
かけになっていた。
タヌの鳴き声の美しさには、当初からかなり驚かされた。犬に比べると音質が
ずっと澄んでいる。声の表情が実に複雑で細やかなのにも感心させられた。
ヒコヒコ、ヒココ〜ン、ワオ〜ン、グススス、クックック、ワン!、ガフガフ
……カタカナで強引に表記すればこんな感じなのだが、とてもあの微妙なニュア
ンスは文字では伝えられない。
タヌの声を最初に録音したのは八九年の春のことだった。
僕はその頃、『プラネタリウムの空』というCDノベル(ハードカバー小説に
オリジナル音楽入りの八cmCDが付属したもの)を作っていた。
小説の中で、主人公の男女が水族館のシャチのショーを見るシーンがある。狭
いプールの向こうは海。「ジャンプしたときなんか、海が見えるんじゃないかなァ」
「帰りたいだろうね、海に」「うん」
 ……というような会話が交わされる。
このシーンに相当する曲として『オルカのため息』という曲を作り、曲の最後
に、波の音とシャチの鳴き声を入れたいと思った。
シャチの声を録音するために、ポータブルDATを借りて鴨川シーワールドま
で行ったのだが、なんとマイクの故障とバッテリー上がりでNG。
波の音だけでも……と思い、翌日の夜中、今度は真鶴に波の音を録音しに行っ
た。これはうまくいった。でも、かんじんのシャチの声はどうする……?
で、シーワールドで聞いたシャチの鳴き声を思い出しているうちに、どこかで
こんな感じの澄んだソプラノの声を聞いたことがあるような気がした。なんのこ
とはない、タヌの声に表情が似ているのだ。
そこで、インチキを承知で、タヌにシャチの代役をやってもらうことにしたの
だ。
しかしこれは大変な作業になった。
タヌキは、基本的には滅多なことでは鳴かない。たまに鳴いても、連続して鳴
くということはない。もちろん、マイクの前で合図に合わせてきれいに鳴いてく
れるわけもない。
考えた末、タヌの日頃の習性を思い出して、ドアチャイムを利用することにし
た。タヌはドアチャイムや電話のベルが鳴ったとき、呼応して一回だけ甲高い声
でワオ〜ンと鳴くのだ。
そこで、ベランダに向けてマイクをセットし、玄関でチャイムを鳴らしてみた。
案の定、ワオ〜ンとやってくれた。しかし、マイクに近すぎると過大入力で音が
歪むし、離れてあさっての方角を向いて鳴かれると逆に小さすぎてノイズが目立
ってしまう。連続してチャイムを鳴らしても、一回鳴いた後はしばらくは反応し
ない。(中略)
CD『狸と五線譜』の二曲目『サロベツを行く』の冒頭には、「ワオ〜ン」と
いうタヌの遠吠えが入っている。続くヒコヒコヒコ……というパーカッションの
ような音も、やはりタヌの声。これは首の後ろをつまむとヒコッと短く鳴くので、
それをサンプリングして、パーカッションのように使ってみたのだ。これは四曲
目の『森からの信号』にも使っている。
もっとも、野生生物の声を取り入れた音楽だからといって、メロディーやハー
モニーがお粗末ならばどうしようもない。本音としては、自然の音云々よりも
「音楽」として純粋に評価されれば嬉しい。(中略)
 CD『狸と五線譜』は、「草の根通信」の読者などに細々と売っていた。店に
も置かないし、五百枚がはけるなどということはありえないだろうと思っていた。
 最初にマスメディアで紹介してくださったのは五木寛之さんだった。
 CDを作った夏の終わりに、ご自分のラジオ番組『五木寛之の夜』で、なんと
三週に渡ってこの『狸と五線譜』を紹介してくださった。三週目には僕もゲスト
として招かれ、音楽の話や、ちょうどそのときに出た『天狗の棲む地』という長
編小説のことなどを話した。(中略)
 しかし、マスメディアでの紹介はこれだけではなかった。
 この本の冒頭で、僕はこういうことを書いている。「タヌキのことを話すのは
楽しいし、実際、気がつくとタヌキ自慢をする飼い主バカになっていることがよ
くある。でも、テレビにタヌキと一緒に遊んでいる映像が流れるなんてのは、ど
こか胡散臭いし、恥ずかしい」
 ところが、困ったことに、まさにこの「胡散臭く、恥ずかしい」ことをしてし
まったのだ。(中略)
 年が明けて四日の夕方、突然国際通信社のロイターから電話が入った。「読売
電で読んだのですが、タヌキの声を使ったCDを作られたそうですね。取材させ
ていただけませんか?」「え?」
 しばし絶句。一応「音楽のアルバムですよ」とCDのことは説明して、タヌキ
は他の人たちには歯を向いて唸るから、お望みのような映像は撮れないだろうと
いうことも言った。
 それでもいいから取材したいというので、一週間後の取材を約束した。
 その電話を切った直後から電話が鳴りっぱなし。なんと、その日の夕刊(しか
も全国版)に、写真と電話番号入りでCD『狸と五線譜』のことが紹介されたら
しい。うちは読売は取っていないのでその時点でもまだ事態が半分くらいしか把
握できていない。
 フジテレビの『スーパータイム』までが「タヌキとデュエットしている映像を
ぜひ……」なんて言ってくる。そんなんじゃないんだと説明し、一旦は断ったの
だが、ホームビデオでもいいというので、それなら今までに撮影したホームビデ
オの映像をダビングして送りますと言ってごまかした。(中略)
 タヌのおかげでCDはある程度売れたし、その結果、このCDとの出逢いを心
から喜んでくれた人も増えた。でも一方で、CDを聴かずにニュースの画面など
だけを見た多くの人たちには、「怪しげ」「胡散臭い」印象も派手にばらまいて
しまっただろう。
 メディアとのつき合い方の難しさを教えられた正月タヌキ騒動ではあった。し
かしまあ、今のところは素直にタヌに感謝しておこう。いや、感謝よりも「懺悔」
かな……ううむ。

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